帰国して1週間経った。
フィジー13泊14日間の語学留学を終えて、私なりに得たことをまとめたい。
(※備忘を兼ね考えを全て書き出したので、あとで時間を見てこのコラムは改めて整理しようと思う)
得たこと1️⃣
自分が語学学習を続けたい理由がより具体的に言語化できた。
英語への自信のなさ→『消化不良感』
誰がなんと言おうと消化不良なのだ。
どんな気持ち悪さかと言えば、2時間サスペンスドラマを見て、最後の15分くらいで犯人が明確に示された時に、あれ?この人誰だっけ?的な感覚に陥ること。犯人の顔もおぼろげなら、動機の推理もあってないようなもの。2時間近く全然意味分かってなかったんじゃん、もっと集中して見なよ、となる。
私の感覚はそれにかなり近い。
私の仕事は、セールス。ただでさえ、ネイティブや、デンマークやオランダなどのハイレベルな英語を話すビジネスパーソンに囲まれて、対等に議論をしたり、懐に入って仲良くならなければいけないような環境。
しかも、もともとこちらの製品に興味のない世界中の顧客を魅了せねばならない。そんな時、下手くそで時に意味不明な長ったらしい英語につきあいたい相手が何人いるだろうか。
もし私が買う側の人間で、諸外国からものを輸入する仕事をするために海外を訪れるのであれば、外国人は私の英語力に合わせた対応をするだろうが、そうではない。
私はその観点において、圧倒的な力不足と自信のなさを痛感してきた。相手に自信を持って何かを伝えるためには、自分の理解が朧げではいけない。そして、このもやっとした感じが残る理由は、持っている語彙の分野が非常に偏っていることなのではないかと気づいた。
特に、すぐに把握できなかった英文を振り返ってみると、音は全て問題なく取れているが、意味がわかっていないものが多い。すなわち、多様な分野における語彙、特にしっかりと意味が分かり、どのように文の中で使うのか明確に理解できている語彙が圧倒的に不足しているということのように思う。
別に誰かに勝ちたいとか、年収を上げたいとかではない。自分の理解に責任を持ち、会話の相手と対等に誠実に向き合いたいだけだ。
ちなみに、このわからなさの不安自体をもう少し自己分析してみる。
一つの例をあげる。
私は日本語の標準語(母国語)の理解には自信がある。少なくとも、日本語で論文を散々書いてきたし、数理の理解もしてきた。母もめちゃくちゃ弁が立つので、語彙も豊富だ。ただ、簡潔に話すのは苦手だが(あとで整理すれば読みやすくできるが、ついつい意識がいろんなアイディアに飛びがち)。
しかし、妹が東北の人と結婚して、親族同士の顔合わせをしたとき、おじいさんの発言(ただでさえ難易度の高い訛りに加え、歯が抜けていて空気が漏れていたこともあるのか(笑)、ますます聞き取りが難しかった)のわからなさに衝撃を受けたことはある。それでも、不安にはならなかった。どこまではわかり、どこまでは分からなくても当然なのだという線引きが、標準語の軸があるゆえに瞬時に判別でき、こころの余裕があったからだ。
ではなぜ、私は英語がわからないと不安になるのか。相手は絶対に間違っていなくて、自分が絶対何か間違っているに違いないという心理が働くからだろう。実際には、アジアの一部の人々なんて、結構間違った文法で話したりするし、もはや標準とは違うことを独自の英語文化だと標準化してしまうくらいだ。それなのに私と来たら、西洋風の顔、ラテン系の顔、アラブ系の顔、インド系の顔の人が英語を話すと、絶対相手の英語の方が合っているに違いないのではと無意識にひれ伏してしまう(ひたすら自分に誤りがないかを探すのに時間をかける。しかし案外、相手が大前提のところで間違っていたのがわかったりして、疲弊する。最初に聞けばいいのにだ)。この日本人的英語コンプレックス。これが日本人のメンタルバリアのおおもとだろうと思ってしまう。
2️⃣じゃあこのレベルからさらに上に一つ抜け出し、理解できた!とすっきりするにはどうすれば良いの?
これについては、いくつか発見があった。
まず、わからないことをよりわかるようにするため、リスニングの強化だ。リスニングの強化といっても、多聴ではない。やはり、わからないことをつぶしまくることにつきる。
具体的には、
①下記に示す、YouTuberのこの方の単語の整理法は非常に合理的で良いと思った。結局、聞こえないんじゃなくて、知らないだけなので、やっぱり大量インプットが必要なんだと思う。
留学などの体験の中で、五感で言葉の意味を理解していくことは語彙や慣用句などを強化すると思うけど、この人のすごいところは超合理化、効率化するスキームを作ってしまっているところだ。私も学生時代、ないものは作る主義で、オタクまがいなくらい自分流をつくって、他の人より短い時間とお金でやってのけて来たことが多数ある。システム手帳の自分フォーマットなんて、いったい何種類作ったことだろう。デジタル製品を何度改造して壊したことか。
塾も行かず、それだけで国立の大学受験も乗り切ったが、それも、徹底的な自分流の学習計画によるものだ。そういう点で、この人のこういう姿勢にとても好感を覚えるし、こういうクリエイティビティは応援したくなる。
忙しい人には、暇な学生だからできる、と思われるかもしれないけど、あるもので満たされないから作ってしまうというのは、ありなのだ。
https://youtu.be/-OplgIrUe6Y?si=WW_8wxsamQR-P4WR
②また留学中、最もハイレベルな中国人のクラスメイトは、昼休みにいつも1人になってブツブツと洋画のシャドウィングをしていた。朝、昼、晩、留学中もやっているらしい。彼女の会話は滑らかで、リスニング力もめちゃくちゃ高い。この人、楽しむ時には楽しみ、文句を言うときはとことん言い、喧嘩をするときは喧嘩をし、周りをリードするときはリードする、すごくかっこいい人だった。さすが中国パワーだ。底力が違う。彼女のおじいさんは、中国の政治的な内乱の時代、政府の暗殺を企てて殺されたらしいが、そんな衝撃的なことをさらっと言う。
大学の時に、水産学部の学生の1人が、一緒に住んでいた寮で、周りに恥ずかしげもなくずっと大きな声でシャドウィングをしていた。やはり、その人も一本筋の通った女性だった。
(そういえば、最上位クラスは女ばかりだった。女はおしゃべりだとバカにする男性も昔はいたが、おしゃべりやら噂話やらが大好きなのは、感情的な生き物である側面が強いと思う。おしゃべりによりストレスを抱え、おしゃべりで解消するのだ。なんでも喋るからこそ、やっぱり言葉のニーズが増し、楽しみが増え、そして能力が上がるのだと思う。
留学中、おならの我慢の仕方や、トイレ設備について議論したら、みんな英語を話しているのにあまりにもくだらなくて、白熱しすぎて笑いすぎた。男性はオナラをいかに我慢するか、痔にはならないのかなどについて、1時間も話し続けることはできないのではないだろうか。うちの夫なんて、トピックは何か、結論は何か、ばかり会話の中で追いかけていて、会話のプロセス自体を全く楽しまない。)
話が逸れたが、結論としては、1️⃣単語をただ覚えるのではなく、イメージで使いこなすまで体得すること、2️⃣シャドゥイングによる、自然なスピードや音、言い回しを知り、感覚に植え付けること、このふたつで、きっと私の2時間サスペンスドラマの犯人推理もめちゃクリアになっていくに違いない。
さらに余力があれば、TOEFLにでるような、学術的な語彙の補完や、以下で紹介したニューヨーク大学に行った先生も言っている、英字新聞の多読など、結局は言葉の間口を広げて、もっと体に染み込ませ、自分のものにすることなのだろう。
幸い私は、音の感度が良い。リエゾンやコロケーションの多くは、若い時にヒップホップを聴いて自然に体得した。
大学生の頃に3週間だけ使節団の一員としてアメリカに派遣されたことがあったが(当時はTOEIC400点台で、ぜーんぜん話せなかったが)、その時にただひとつ、耳だけが修正された。
当初、doll やBeverly Hillsが発音できなくて通じなかったり、doll ceremony を説明しようとして、door ceremony かと言われたりした。また、Imabari towelを買うのがおすすめと伝えようとして、Imabari tower?どこにあるのかと真面目な顔で言われたこともある。
でも、私の耳は素直ですぐに音を修正できた。今では、アメリカ人などからも、発音がとても良いとよく言われるし、中国語も少し話すが、初学の段階から発音が良い、ネイティブみたいだと言われる。
中国語に関しては、私はどれがネイティブっぽくてどれがネイティブっぽくないかそれまでわからなかったのだが、以前初めて日本人も含んだ集団レッスンを受ける機会に恵まれて、あ、他の人はこうやって勝手に違う音に変えて話しちゃうんだな、と思った。みんなは本当の音で話せてすごいと言うけれど、私からすると、ただ耳から聞こえたように言っているだけで、逆に違う音にすぐ変換できることの方が、人の能力としてはすごいと思ったが。
昔、札幌に住んでいたことがあるが、数年ぶりに東京に戻り地下鉄に乗ってみると、若い男性の早口すぎるおしゃべりに頭が痛くなったことがある。高音でけたたましくてうるさい音だと感じた。慣れれば、よくある高校生か大学生くらいの男の子の会話だろう。しかし、腹式呼吸とは程遠い、口先だけの響きの連続音にむず痒くて苦しんだほどだ。それに、昔ラジオの特定の音を聴き、病みかけたことさえある。
私は音に対して多分感度が高いのだろう。ま、意味がわからなければただの音で、まさに意味がない、ということになるが。
つまりは、音はちゃんと聞けているのだから、意味づけが必要だということだ。あとはそれを、いかに効率的にやっていくかだけだ。
無駄だと言われる英検一級だって、もし私が話したい内容に近い言葉がそこにあり、それが自信につながるなら取り組んでみる意味はある。
何事も偏りは良くない。
そう、留学を通して私は、下記の整理ができた。
⚫︎相手の言うことの理解に自信が持てないことに不安を感じている。=「消化不良感」
⚫︎理解の程度が「テーマなどによりずいぶん異なる」=知識や語彙の分野に偏りがある。「アダプトしきれていない」
⚫︎そのために必要なのは「語彙の深い理解と体得」→管理はYouTuberのディーさんの方法で、実践練習は映画などのシャドウィングで
⭐︎その他、英語について私が共感すること
▪️語学のトレーニングと海外経験の意味
https://www.econ.hokudai.ac.jp/~hasimoto/My%20Essay%20on%20English%20Learning.htm
この気持ちの変遷の描写、なんとなくわかる。さすが大学の先生は考えたことを言葉にするのがお上手。
▪️避けるべきはセミリンガル
https://www.shidai-tai.or.jp/topics_detail8/id=1117
そうそう、それよ、私がずっと思っていること。息子に特に英語の早期教育を施そうと思わない理由もそれ。